ハスキー

開拓塾、豊橋市。
春の訪れを感じる陽気でした。

春はあけぼの、なんて清少納言は言ったけれど、どうなのかしら。
私みたいに朝が苦手な人間には、イマイチ共感に欠けるわけで。
冬の早朝なんてもっての他だ、というわけで。
でも、清少納言は残ったのが、すごいわよね。
「春は明け方がいいわよ」って、言ってみればその切り抜きみたいなものが、
千年以上の時を経て大体みんな知っているなんて、ちょっとびびる。

歳時記、というものがある。
中3生は国語で習うけど、俳句の季語を季節ごとに分類した書物だ。
書物、とはいいつつ、今はネット上にも歳時記がある。
本日、入試予想講座の休憩中に、何となく、オンライン歳時記で春の季語を調べた。

知らないものがたくさん出てくる。
「その言葉が春の季語であることを知らない」というだけではなく、
「そもそもそれが何なのかもわからない」という季語もあった。
「風車」
「イソギンチャク」
「油風」←これ何?(晩春四月頃、晴天の日に吹くおだやかな南風、だって。知らん。)
などなど。
「青木の花」なんてのもあった。
青木先生が花束を持っている映像しか浮かばなかった。

そういえば、入試プレの国語の論説で、
季語は人間の生活様式の変化とともに増えてきた、現在も増え続けている、なんて文章があった。

だから、あるだろう。
あるはずだ。
そう思って、僕はしばらく探した。
あった。

「合格」

合格は、春の季語。
僕は合格発表の掲示板で受験番号を見つけた学生のように満足して、サイトを閉じた。

ウグイスのように、春になったら自然と現れるものではなく、
チューリップのように、自動的に咲き誇るのでもなく、
言い尽くせない複雑な物語の果てにある季語、こんなのは、他にない気がした。

中3生、とりきって。