仕事ができない人、できる人。
そこには、もちろんあらゆる理由が存在する。
大きなポイントの一つとして、仕事という行為をただするのか、
たえず、手段、目的を明確にとらえ、目標に向かっていくか。
仕事が本当にできる人は、手段、目的、目標、リスク、成功確率、
達成到達時間、お金、人の気持ち、メリット、デメリットなどを
ほぼすべての事象において、それらの意識がくみこまれている。
仕事ができない人は、それらの意識が極めて低い、もしくはない。
ただその直面した仕事を行為としておこなっているだけだ。
では、意識が強かったとしても、意識がおかしかったとしたら?
たとえば、本来あるべき手段と目的が逆として、意識して活動
する人は、どうでしょうか?
普通は、仕事できない人ですよね。
しかし、強烈なまでに手段と目的が逆であると、
そこに成功という可能性がでてくる。
その、象徴事例は、フェラーリ。
通常、自動車メーカーは、車を売ることが目的。
宣伝などは、もちろん手段。レースで勝つこと
はもちろんメーカーにとっては宣伝という手段。
しかし、フェラーリの手段はちがう。
フェラーリは、車を売ることが手段。
では、目的は?
そう、レースに出ること。
F-1というレースに出て優勝すること。
レースに出るための資金が必要で、そのために
車を売るのです。
言ってはなんですが、フェラーリのオーナーは、
フェラーリ社のレース資金のために利用されているのです。
通常間違いでしょう。自動車メーカーの考え方として。
しかし、それが強烈なまでの間違いであると
それが成功を生む可能性が生まれる。
F-1でレースに勝つ車を作る。
この強烈なまでの目的。
言うまでもなく、圧倒的な結果を出し続けている。
フェラーリサウンドといわれるあの音。
そのために、いいエンジン、いいシャーシー、サス、ブレーキ、ハンドリング・・・
レースに出ることが目的、車を売ることが手段。
フェラーリの目的と手段。
不謹慎までの目的と手段。
フェラーリがほしくなったときでもあった。
その手段にのっかりたくなった。
だれが何と言おうが、間違いといわれようが、
貫く意志力、かっこいい。
余談 日本の中で強烈な社長の一人、本田宗一郎。
この方は逸話だらけで、それほど自分は詳しくもないが、
会ってみたかった人です。
ご存じの方が多いと思いますが、NO.2の藤沢武夫と2トップ
でホンダ自動車を1代で築きあげた。
本田66歳、藤沢62歳という若すぎる引退。
- 引退を決意し、それから二人が最初に会った時の会話
本田「まあまあだな。」
藤沢「そう、まあまあさ。」
本田「幸せだったな。」
藤沢「本当に幸せでしたよ。心からお礼を言います。」
本田「俺も礼を言うよ。良い人生だったな。」
かっこいい!
「まあまあだな。」
重み、深み、さわやか、すごい人って本当にすごい。(事実なのかわからないが、
事実でいいじゃん、って感じ。)
自分もまねしたいが、無理かな。
おれ 「まあまあだな。」
大切な方々「まあまあさ。」
おれ 「なに?まあまあ?お前は最高と言え。(笑)」
こんなかんじだな。おれは、かっこいい男の会話できそうもないです。
残念! 風格ゼロ男。
- 本田宗一郎の夢、F-1へ!
フェラーリを破り、圧勝 F-1コンストラクターズチャンピオン!
1986年、F1でのホンダターボエンジンの圧勝を面白く思わない
FISA(現FIA)はターボエンジンの段階的禁止、及び1989年から
自然吸気エンジンのみへ移行する決定を下した。
わかりづらいかもしれないが、ホンダが強すぎるので、ルールを
変更になった。
ホンダのターボエンジンは、その当時世界最強だった。
ちなみに、F-1(あらゆるスポーツにいえるが)はあくまでも
ヨーロッパのスポーツなのです。
ですから、日本が活躍することは許せないことなのです。
開発のために、ホンダは、どれだけ努力したかわからない。
限りなくインチキに近いルール変更。
これに憤慨したチーム監督の桜井淑敏らは宗一郎に直訴しよう
としたが、宗一郎は桜井がしゃべりだす前に、
会うなり「ターボ禁止は本当か?ホンダだけがターボ禁止なのか? 違うのか、
馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、
すべてのチームが同じ条件なら、またホンダが一番速く、
一番いいエンジンじゃないか。
で、なんだ話ってのは?」と言い、
桜井らは嬉しくなるとともに、
後ろばかり見ていた自分達を後悔し
「いいんです、何でもありません」と引き下がった。
ホンダは1987年に16戦11勝、1988年には16戦15勝の圧勝、
自然吸気に移行した1989年にも16戦10勝、その後も、
1991年に宗一郎が亡くなる年までタイトルを獲得し続けた。 wikipedia
かっこいい。本田宗一郎。
かっこよすぎる。だから、ホンダはあの強烈なフェラーリ
までもやっつけた。
その当時のレーサー。魅力あったなあ。
ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ。
たしかに彼らが、勝った。彼らはすごいレーサーだ。
でも、自分は、本田宗一郎が世界をやっつけた。
本田宗一郎がいたから、できた。
自分はそう思っていた。
楽しくて仕方なかった。
F-1優勝までたどりついた、ホンダ。
桜井監督のころは、よく自分もF-1をみていたころなので、
すごく覚えている。
2008年、ホンダはF-1を撤退した。
とても残念だった。
個人的には、強烈なまでの魅力あふれる本田宗一郎の
心を受け続けてほしかった。