ハスキー

先週の金曜日、八幡校からの帰り道、信号待ちをしていると、
結構な数のカエルの声に包まれた。

僕はちょっと遠めに聞こえてくるカエルの声がとても好きで、
好きな自然の音ランキングをつけるとしたら、ベスト5には入ると思う。

音として単純に好きなこともあるけれど、
故郷を思い出す、ということとも無関係ではないと思う。

僕が育ったのは群馬県の山間にある小さな町で、
このあたりだと、イメージ的には新城とかに近い。
実家は川のすぐ傍で、近所に田んぼや用水路が豊富にあったため、
春から夏にかけて、雨が降ったり降りそうだったりする日の夜は、
必ずカエルの声が聞こえていた。
それを聞きながら眠りに落ちるのが、好きだった。

大学に行くときに群馬を出て、離れて暮らすようになってから、もう二十年になる。
故郷で過ごした年月より、別の町で過ごした期間の方が、長くなる。

十九の頃、明確に、自分の生まれた町が嫌いだった。
何かしらの憧れを抱いて京都に移り住んだけれど、本当は別に、京都でなくてもよかった。
自分の町を出ることが大事であって、
若者にはありがちな感情なのだろうけれど、ここではないどこか、に価値があった。
どこかに行きたい。ここは嫌だ。
三年くらいはその気持ちを抱えて過ごしていたから、
脱出できたというだけでもう最高で、京都での新しい生活の中で、毎日、その喜びをかみしめていた。

けれど、京都で過ごすようになって三か月くらい経ったある日の夕方、
一人で近所の公園を散歩しているとき、
不意に、何でもない公園の風景に故郷の光景がだぶって見え、
今まで全く気づかなかったことに気づいて、僕はほとんどがく然とした。
それはつまり、僕は生まれた町がすごく嫌いだったのだけれど、
同時に、あり得ないくらい好きだったんだ、ということだった。

その感情は当時、なかなか自分の中では収まりがつかなくて、
長い間、誰にも話すことがなかった。

今ではもう、どうして自分の町があれほど嫌いだったのか、よくわからない。
それは単に、町を出るために必要な手段に過ぎなかったのかもしれない。

第一、僕の知っている故郷からはもう、あまりに多くが消えてしまった。
僕が本当に嫌いだった故郷も、僕が本当に好きだった故郷も、今はもう、ない。

それでも、僕の中の深いところでは、故郷に対してずっと抱いてきた何か温かいものが、
いまだにケロケロと小さく鳴っていて、
八幡校からの帰り道、カエルの声が聞こえると、
それに共鳴するみたいに少しだけ大きくなって、僕を揺らす。