ハスキー

今日は二川校、五並中の中3生には、理科のロング対策。
明日が定期テスト、残りの教科が理科と数学、とあって、
理科を2時限、数学を1時限。
ラストの仕上げ!
落ち着いて、明日、取ってきてくれー!

授業が終わってスマホを見ると、
母親から「今日は十三夜です」という報告と、
団子とリンゴとミカンとサツマイモを飾った写真が送られてきていた。
先月の十五夜のときも、似たような写真が送られてきていた。
というか、ほとんど毎年、これが送られてくる。
だいたい十三夜って何だよ、よく知らねえな、と思い、調べた。

要するに、昔、中秋の名月=十五夜の次に美しい、とされたのが、
旧暦九月十三日の月であるらしく、
それを愛でるのが、秋の豊作に感謝するイベントみたいなものだったらしい。
そうか。

僕の実家は、そういう日本の四季折々の風習というか、行事というか、
よくやる家だった。

節分のときには、
きちんとした木の升みたいなものに豆を入れて、
父が近所一帯に轟くような声で、
「福はー内!福はー内!」と叫んだ。
その後に、「鬼はー外!福はー内!」とこうくるわけだ。
僕は「鬼は外、福は内」の順だと思っていたので、
なぜ突然「福は内」から始まるのか、父に尋ねると、
鬼を追い出すより福を招くことが優先なのだ、
という意味の答えが返ってきた。
それが父の幸福論というか、ポリシー的なものだったのか、
正式な風習がそうなのか、
調べていないので知らないが、
とにかく、節分から数日の間は、
家の中を歩いているとしょっちゅう豆を踏みつけるはめになった。
あれが、結構痛いのだ。

家の庭には、
それこそ二階の屋根より高い巨大な柱が立っていて、
子どもの頃は、五月になるとそこに鯉のぼりが舞った。
黒、赤、青、緑、四匹の鯉のぼりは、
僕らの家族構成と同じだった。
鯉のぼりは僕の通っていた小学校からもよく見えた。
小学校一年生のとき、家庭訪問の時期に、
担任の先生から「箸本君の家は学校から近いのよね?」
というようなことを聞かれた僕は、
窓の外を指差し、
「あの鯉のぼりの家です」と答えて、
先生はやけにおかしそうに笑っていた。

端午の節句だろうがクリスマスだろうが、
節操なくやっていた感があるが、
父は、そういう一種の風流みたいなものを家族で共有するのが好きだったのだろう。
また、父がよくゲンをかつぐ人間であったことも大きいだろう。
僕の故郷はたいそうな田舎であり、
いわゆる「縁起」を大切にするような因習は豊富に残っていたし、
父が家を建てる人間であったことも無縁ではなかったと思われる。
家を建てるにあたり、日取りやら方角やら地鎮祭やら何やら、
子どもの僕から見てもちょっとそこまでやる必要あんのか、と思うほど、
父は縁起の良し悪しにこだわっていた。

余談だが、家族でケーキを買いに行ったときなど、
各々が食べたいケーキを選ぶとして、
僕らは四人家族だったから、
一人ひとつケーキを選べば、当然四つになるのだけれど、
「四つってのは、数が悪いから」と父親は必ず追加で買うことを提案した。
そうすると、僕と弟が二つずつになって、
ケーキは結局、六つになったりした。

子どもの頃、一度、父に聞いたことがある。
素朴な疑問として、そこまでやらなくちゃいけないほど、
神だか仏だか縁起だか、信じているのか、と。
信じていない、と父は笑って言った。
「だけど、例えば、俺が建てた家に住む人が、不幸になったとするだろう。
 そういうときに、『もしかして、あれをやってなかったから』ってよぎるのが、嫌じゃん」
あれは、神頼みとはちょっと違った。
もう出来ることはないのだ、というところまでは、全部やろう、という、
父の指針みたいなものだったのだと思う。

毎年、母親が僕に十五夜やら十三夜やらの写真を送る度に、
写真で団子が食えるわけでもあるまい、と父は悪態を吐いていたそうである。

故郷を出て二十年になる。
僕の家に、もうあの巨大な柱はない。
かつて鯉のぼりが泳いだ空には、
十三夜というよくわからない名月がかかっているだけだ。
僕は今から、何となくビールを五本、買って帰る。
あの四匹の鯉のぼりは、
捨てられたのか、物置で眠っているのか、
僕は一度も見ていない。