2、不明確な指示。
それは、スペースの指示であり、主体活動の指示ともいえる。
これは、職員の成長のためですね。
しかーし、動かない、動かない。残念だが、俺はあきらめずやり続けるよ。
不明確であるから、期限設定をしない、誰が行うのかいわない、などももちろんだが、
期限などを設けても指示を不明確にはできる。
例えば、「年内にオリジナルの研修を3つ実行しなさい。」
これは、オリジナルの研修というだけで、ではどういう研修をやるのかは、
やる側の創作活動がいる。
私は、「不明確な指示は大切にしている。」
しかし、聞き手があまり大切にしていないのかなあ。
実行確率が低すぎるので、もう少し方法も違うパターンもやろうと思う。
オリジナルの研修を年内3回やろう。
その瞬間に、「やりきってやる。」と思って聞いてる人はいないだろう。
そんな人は、指示なしで新しいものは何一つ生み出せないでしょう。
研修実行は、確かに年内でいい。研修プランの提案は、今月中で何か問題あるか?
ないよね。
しかし、そういう行動しないやつは、必ず忘れる。
だから、「忘れた」のではなく、はなっからやる気がなかったんです。
絶対忘れないぞ、なんてまったく思っていないんだからね。
忘れた、というのも軽々しく言わないほうがいいんだよね。
少なくとも、自分は、その人が忘れた、と思っていない。
やる気がなかった、とほとんどがそういうケースです。
まあ、めったにおこらんけどさ。
8月は、夏期講座。9月以降は秋期の研修。通常テキスト作成。学判。冬期テキスト作成。
冬期研修。
7月も相当夏期の研修もある。もちろん12月後半は冬期講座。9月は保護説の研修もあるかもしれない。
そう考えると、6月、7月で2回。10月で1回。
しかし、最低が3回だから、4回やりたい、と考えたっていい。
そうなると、そんなに時間はないんだ。豊田、豊橋でそれぞれやったっていい。
全体会議でやったっていい。
そのベストを考えねばならない。
話だけ聞いてる典型だ。
不明確な指示を受けた人間は、その瞬間、そして、数日以内に
あらゆることを明確にしなければならない。
ここがポイントだ。
不明確な指示をすばやく明確なものに受け手はしなければならないんだ。
そういうファイターが一人もいないのは残念だ。
例 5月30日までに 報告書を ○○君 提出。
などといわないといたって行動しない。
「だれ」と「いつ」を言わないで、活動できる人はまだいない。
せっかくのチャンスなのに。
俺は評価するぜ。
確定です。
かっこいい姿見たいんです。
君が考え、君が生きてるところを見たいんです。
君が、カイタクを作ってる瞬間に立ち会いたいんです。
そんな風に思っちゃだめなのかなあ?
求めすぎなのかなあ?
実行時期にあわせちゃだめ。
実行時期とは別だ。実行時期の前に計画を万全にしたほうがいいに決まっているんだ。
あとでやればいい。あとであなたが実行した確率を考えよう。
同じ失敗を繰り返すことはいけない。
そんな言葉、みんなわかっている。
それこそ、実行です。実行してナンボです。
あらためて、何だけではだめなんです。
リアルな道を歩かないと。
その力がある人は、今のところ皆無です。
何のストーリーもないんですね。
だから、日常の指示も半端なものになってしまうんです。
不明確な指示それは、スペースを与える指示、主体活動ができる指示、
あなたの色をものすごく出せる指示なんです。
これは、あくまで職員のための指示である。
しいていえば、査定者のための指示でもある。
不明確な指示のスタートは、何ではなく、「いつ」です。
「だれ?」、それは、あなたに決まっています。
「いつ」を大切にして、何を生み出しましょう。
夏期前までに2回やるんです。
もう不明確性が減ったからね。
しかし、何に関しては、まったく不明確だ。
オリジナル研修、やってください。
今後も、不明確な指示だ、という信号をキャッチする能力をまずはつけること。
そして、即実行計画にうつるスピード。
どんどん成長してください。
あなたの力を存分に発揮できる場所を与え続けるためにも
私は不明確な指示を出し続ける。
少なくとも自分の仕事は、あらゆる面で
自ら「いつ」を作る意志力、
自ら「なに」を作る想像力、創造力、
自ら「なに」をやる実行力、
自ら「だれ」に「なに」を「どこ」でやるのかを決める決断力。
自分との戦いに負けない活動をし続けない限り、
勝利はない。
いつでも許される。今日なにもしなくても。
拡大しなければならない理由もない、といえばない。
来年、校舎出さなくても誰も、俺を怒らない。
自分の仕事を自分で作らなければならない。
いつまでだって許される。
BUDDYを作らなかったら、誰かに否定されるわけでもない。
採用も、こんなにやらなくたって、誰からも否定されない。
否定されないために、自分は生を受けたわけではない。
否定されることなんか、恐怖でもなんでもない。
怖くもなんともない。
俺は挑戦しなくなる人生が怖い。
自分との戦いをしない人生が怖い。
リスクを背負えない人生が怖い。
最良を目指し、挑戦をし、失敗を恐れず、生きていく。
その言葉を言うのは簡単だ。
その言葉の人生と認められるのは、大変だ。
僕は自分との戦いなんです。
僕は弱い僕との戦いなんです。
ちっぽけな僕が僕に挑戦したいんです。
ちっぽけな僕に打ち勝った日を僕はほめたいんです。
ほぼ誰からもほめられることも、否定されることもない。
ほぼ毎日、誰かをほめ、誰かを否定する僕。
負けそうになっても、君の成長に勇気を持って、
否定するんです。
僕が僕との戦いに負けぬよう。
僕は僕に「逃げてはいけない」と毎日指示を出すんです。
出社、自由。
年収、自由。
誰も誰も怒らない。
誰も指示してくれないんです。
誰も指示してくれないんです。
僕が僕を指示するんです。
「甘えるな。」
「決断しろ。」
「考えろ。生み出せ。」
「能書きたれるな、結果出せ。」
自らに、心の中で、指示を出す。
僕の心の明確な指示を、
まだ君は不明確だと思っているんだ。
きっと。
君への不明確な指示を、明確にする強さを持つ
ためには、
「君が君に指示しなければならない。」
それに打ち勝ったとき、
何かを生み出す。
「指示に打ち勝ったとき、君が支持される。」
俺は送る、君にチャンスを。
不明確な指示、それは、君が勝つチャンス
以外のなにものでもない。
その輝かしい姿を僕はみたい。