私は常にかな?
おもしろいということを考える人間で。
指示のラストが次に来るという確定がつまらないので、
私の中では、指示のビジョンを次に書かないことが確定していました。
ひねくれてますね。
もちろん、この期間の中で社員に考えてほしかったというのもありますが。
さて、本題。
「運動神経抜群。」
この言葉、最高ですね。
では、カイタクで誰でしょうか?
広田君?松岡君?
この方々は、自分の定義では、スポーツができる人ですね。
男は、運動にこだわる。特に幼少期。
これができなくて、学校で優位な立場はまずないと思う。
自分は小学校がピークだった。
筋肉の量の差があまりないし、初物にめちゃ強いから、
えらくおいしい立場だったなあ。そのときは、そんなこと全然
考えていなかったけど。
でも、そんなのは、運動神経抜群でもなんでもないですね。
一見、マイナスの出来事。
例えば、カイタクで言えば、01年の新設3校舎の募集がまったく来なかったとか。
数年前、採用がまったくうまくいかなかったとか。
もう、いくらでもある。失敗は。
自分は、その時点でマイナスの経験はしまくってきた。
しかし、現在、「プラス」なんですね。
ここですね。
「今」がないやつは、その過去が「運が悪かった。」
そして、そのせいで今がなくなってると。
「マイナスをプラス」にすれば、そのマイナス自体が、
「運がよかった。」となる。
あのとき、あの経験があったから、今があると。
自分は、「運がよすぎる人生だ。」
あまりにもいい。
失敗を失敗で終わらせなければ、すべて運がいいという話になる。
いいだせばきりがない。
マイナスを、どこで、どんな風に動いて、プラスの大波を作るのか。
大波を引き起こす力、それが運動神経抜群。
「運を動かすことができる男、それが真の運動神経だ。」
「運を転がし、動かし、俺は勝つ。」
だから、もっと、もっと運転がうまくなりたい。
フロックといわれようが、
「俺は、運動神経抜群」
であり続けたい。
ピンチは、必ず訪れる。
幾度となく、訪れる。
失敗は、必ずする。
何度も、何度も。
しかし、それも運動神経抜群、「運を動かす」ことができるのであれば、
すべては、乗り越えられる。
子供のころに単純にあこがれたことは、紛れもない真実。
運動神経、ここにこだわり続け、勝利を求め続けて、生きていく。