目標、
いっぱいあります。
その中の一つとして、
職員の成長。
これは、常にあります。
特に成長させたいと
タイミングだと考えた場合、
徹底的にやります。
職員1人ひとりをわかってあげて、
伸ばしてあげたい。
【伸びるのは、平和から生ませるかもしれない。】
【伸ばすというのは、戦いからしか生まれない。】
それは、自分自身もそう、
部下、生徒へもそう。
困難な道に入る、
と決める覚悟。
そして、それをなにがあろうと
貫く意志力。
相手がいる場合は、
ますます難しいこともある。
その心がシンクロする確率が
とても低い。
相手を伸ばすという意志力の代償として、
傷ついてしまうことが多い。
傷だらけになってもいい。
修復可能かどうか、
そこがポイントだ。
血が出て、かさぶたになり、
やがて、
いつのまにか、
まるでなにもなかったように、
はがれ落ち、
それが、
まるで昆虫の抜け殻のように、
脱皮となり、
成長へつながる。
そうであるならば、
傷つくことは、さほど問題ない。
しかし、傷つきすぎてしまい、
かさぶたがはがれることなく、
かさぶたの中に心が埋もれてしまってはいけない。
はがれ落ちるかさぶたなのか、
はがれ落とせるかさぶたなのか、
はがれることがない閉ざしてしまう
かさぶたという名の消えることのない傷になるのか、
その判断、ぎりぎりの攻防、とても難しいことです。
人を伸ばす。
安易にいえる言葉ではなく、
その人との関係性の全てを失う覚悟がないなら、
そんな言葉、言わない方がいい。
人を伸ばす、
それは、覚悟という自問自答、
その答え合わせから、始まる。
それでも、
伸ばしてあげたい。
いつか、
喜びを共有したい。
すべての人に可能性がある。
いまだに、それを信じている。
君が、かさぶたの中に埋もれそうになったとき、
自力ではがせられないようなとき、
無理やりにでも、
かさぶたをはがしに行くときだってある。
それも一つの指導。
そのためにも、
既成概念という、
自分のかさぶたを自分ではがし取ることから、
始めなければならない。
すべては、そこから始まる気がする。